|
みかんの歴史 〜みかん博士になろう |
橘本神社 橘の樹 |
神話時代
田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の
命により,非時香菓(ときしぐのかぐこのみ)
を探し求め、 海外から持ち帰ったのが
橘、現在のみかんの 原型である
〜古事記・日本書紀より〜
下津町の橘本神社の周辺には
持ち帰った蜜柑が 植えられ、
田道間守・熊野坐大神とい一緒に
『蜜柑・お菓子』の始祖
として祀られています。
奈良時代
万葉集には橘を読んだ歌が数多く残され
人々の生活にかかせない存在だった事が
うかがえます。
|
平安時代
最古の医薬処方の書、医心方には
橘・柚子・柚の液効がしるされています。
左近の桜に対し、右近の橘として宮中の
紫宸殿に 橘が植えられていました。
現代の桃の節句、ひなまつりの雛壇にも
飾られています
熊野古道
熊野詣の参拝道に橘本神社があり、
この地を通る 多くの人々が
みかんで喉を鳴らしたことでしょう。
江戸時代
嵐の中、江戸に向け出航
「沖の暗いのに白帆がみえる、
あれは紀州のみかん船」
と俗世に歌われる
紀伊国屋文左衛門船出の地。
|
|
紀伊国屋文左衛門船出の地 |
温州みかん 貯蔵風景 |
現代
橘の樹から始まった蜜柑の歴史。
今も冬の定番といえばみかんです。
そんな果実を一日でも長く食べたい、
と思い先人達が考えたのが、
土壁がある倉庫に貯蔵する方法です。
下津町では、今も盛んにおこなわれ、
特産品となっています。
|
|
|
|